神戸の夜、通り過ぎる声だけが残る

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三宮の駅前で信号待ちしてたら、横をすごい勢いで若い子たちが通り過ぎていった。

5人くらいのグループで、みんな笑いながら何か叫んでて、一瞬だけ空気が賑やかになって、そのあとすぐ静かになる。あの感じ、なんて言えばいいんだろう。花火が上がって消えるみたいな、そういう一瞬の盛り上がり。私はただ立ってるだけなのに、彼らの熱量だけがバーッと通り過ぎていく。

別に羨ましいとか、そういうんじゃないんだけど。

神戸って街は不思議で、昼間はわりと落ち着いてるのに、夕方から夜にかけて急に人の密度が変わる。特に金曜日の19時過ぎとか、センター街のあたりを歩いてると、とにかく若い人たちが多い。カップルもいれば、女子グループもいるし、男だけで固まってる集団もいる。みんな行き先があって、笑い声があって、スマホ片手に誰かと連絡取り合ってて、私の横を次々に追い越していく。私も昔はあんなふうに友達と騒いでたのかなって思うけど、正直あんまり覚えてない。覚えてるのは、終電逃して困ったこととか、靴擦れが痛かったこととか、そういう些細なトラブルばかり。楽しかった記憶って、意外と輪郭がぼやけてる。

この前、元町の「カフェ・リヴィエール」っていう小さな店でコーヒー飲んでたときも、窓の外をずっと人が通ってた。

その店、夜22時まで開いてるんだけど、照明が暗めで落ち着くから好きなんだよね。窓際の席に座ってると、外の賑やかさと店内の静けさが同時に感じられて、なんか不思議な気分になる。ガラス一枚隔てただけで世界が違うみたいな。外では誰かが大声で笑ってて、誰かがスマホで電話してて、誰かが走ってて。私はただ、冷めかけのカフェラテを両手で包んで、その光景を眺めてる。参加してるわけじゃないけど、完全に切り離されてるわけでもない。ちょうどいい距離感。

昔、大学生のとき、友達に「お前ってほんと傍観者だよな」って言われたことがある。そのときはちょっとムッとしたけど、今思えば当たってたのかもしれない。

神戸の街を歩いてると、若い人たちのエネルギーってすごく目立つ。彼らは常に動いてて、常に誰かと繋がってて、常に次の予定がある。待ち合わせして、ご飯食べて、カラオケ行って、また次の場所へ移動する。その流れが途切れることなく続いてる感じ。私が一人でぼんやり歩いてる横を、彼らは目的地に向かって真っすぐ進んでいく。別にそれが良いとか悪いとかじゃなくて、ただそういう違いがあるってだけ。

三宮のセンター街って、夜になると音が変わるんだよね。昼間は買い物客の足音とか、店員の呼び込みとか、そういう「商業の音」なんだけど、夜は笑い声と話し声が中心になる。居酒屋から漏れてくる歓声とか、路上で盛り上がってるグループの声とか、そういう「人間の音」。その中を歩いてると、自分が透明人間になったような気がしてくる。誰も私のことなんて見てないし、私も誰のことも特に見てない。ただすれ違うだけ。

最近、夜の散歩が習慣になってて、週に2回くらいは三宮まで出てくる。

目的があるわけじゃない。ただ歩きたいから歩いてる。で、歩いてると必ず若い人たちのグループに遭遇する。彼らはいつも賑やかで、いつも急いでて、いつも楽しそう。私はその横をゆっくり歩いて、時々立ち止まって、また歩き出す。彼らの会話の断片が聞こえてくることもある。「マジで?」「やばくない?」「ウケる」。言葉の中身はよく分からないけど、トーンだけで楽しさが伝わってくる。そういうのって、内容じゃなくて空気なんだよね。

ふと思い出したんだけど、高校生のとき、友達と神戸に遊びに来たことがある。当時は三宮がめちゃくちゃ都会に見えて、ちょっと緊張してた。今思えば笑えるけど、当時は本気でドキドキしてた。で、その日は結局何をしたかっていうと、CDショップとゲームセンターをうろうろしただけ。大した思い出じゃないけど、なぜかその日の空気感だけは覚えてる。春先で、ちょっと肌寒くて、友達が「腹減った」ってずっと言ってた。

今、同じ場所を一人で歩いてると、あのときの自分がどこかにいるような気がしてくる。

神戸の街には、たぶん何万人もの「若い頃の誰か」が重なってる。みんなここで笑って、騒いで、恋をして、ケンカして、そして去っていった。今、目の前を通り過ぎていく若い人たちも、いつかは私みたいに一人で夜の街を歩くようになるのかもしれない。そのときに彼らは何を思い出すんだろう。今日の笑い声を覚えてるのかな。それとも、全部忘れてしまうのかな。

賑やかさって、残らないから美しいのかもね。

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