
週末の神戸須磨水族館は、とにかくうるさい。
大水槽の前に張り付いた子どもたちが、指を差しながら何かを叫んでいる。「あっ、エイ!」「サメだ!」「お母さん見て見て!」声が重なって、もはや何を言っているのか聞き取れないくらい。でも不思議と不快じゃないんだよね、あの騒がしさ。むしろ館内が静まり返っていたら、それはそれで寂しい気がする。
私が最初にこの水族館を訪れたのは、確か中学生の頃だったと思う。当時は今ほど混んでいなくて、平日の午後なんかは人もまばらで、ガラス越しにぼんやり魚を眺めながら時間をつぶしていた記憶がある。あの頃の私は、水族館を「静かに鑑賞する場所」だと思っていたんだけど、大人になって家族連れの多い時間帯に来てみると、まったく違う場所に見えてくる。ここは観察する場所じゃなくて、感情が爆発する場所なんだ。
クラゲのコーナーで立ち止まった親子がいた。父親が娘に「ほら、光ってるやろ」と話しかけている。娘は水槽に顔を近づけて、息を殺してじっと見つめている。そのあと突然、「きれー!」って叫んで、隣にいた母親の腕を引っ張った。母親は少し困ったように笑いながら、「そんな大きな声出さんでも見えてるって」と言っていたけど、娘は聞いちゃいない。もう次の水槽に走っていっている。
あの瞬間の「きれー!」には、何の計算もない。美しいと思ったから叫ぶ。それだけ。大人になると、そういう反応ができなくなる。心の中で「きれいだな」と思っても、声には出さない。出したとしても、「わあ、すごいね」くらいの抑えたトーンになる。でも子どもは違う。感じたことがそのまま声になって、体が動いて、周りの空気ごと変えてしまう。
ペンギンプールの前はいつも人だかりができている。この日も例外じゃなくて、柵にしがみついた子どもたちが、ペンギンの一挙手一投足に反応していた。一羽が水に飛び込むと「わー!」、陸に上がると「おお!」、ただ立っているだけでも「かわいい〜」と声が上がる。私の斜め前にいた男の子なんて、ペンギンが歩くたびに自分も一緒に左右に揺れていて、見ているこっちが笑いそうになった。
ちなみに私、去年ここで財布を落としたことがある。イルカショーを見終わって出口に向かおうとしたときに気づいて、顔面蒼白になった。結局、ベンチの下に落ちていたんだけど、あのときの焦りは今でも忘れられない。水族館で財布を失くすと、なぜか「魚に盗られた」みたいな気分になるのは私だけだろうか…まあ、どうでもいいんだけど。
タッチプールのエリアでは、子どもたちが恐る恐る手を伸ばしている。ヒトデやナマコに触れるコーナーなんだけど、最初はみんな怖がるんだよね。「ぬるぬるしてる!」「うわっ、動いた!」って悲鳴みたいな声を上げながらも、何度も手を入れている。一度触ると、もう怖くなくなるのか、次第に平気な顔で触りまくっている。その変化が面白い。恐怖が好奇心に変わる瞬間を、目の前で見ている感じ。
館内を歩いていると、時々、泣いている子どもにも出会う。疲れたのか、お腹が空いたのか、理由はさまざまだけど、泣き声もまたこの場所の一部なんだと思う。全員が全員、ずっと笑顔でいられるわけじゃない。それでも親は抱きかかえたり、なだめたりしながら、また次の水槽へ向かっていく。その姿を見ていると、家族って大変だなと思う反面、ちょっと羨ましくもなる。
出口に近づくにつれて、子どもたちのテンションは少しずつ落ち着いてくる。さっきまで走り回っていた子も、親の手をつないで歩いている。疲れたのか、眠そうな顔をしている子もいる。でも、その表情はどこか満足げで、充実した時間を過ごしたんだろうなと伝わってくる。
神戸の海沿いを歩きながら、さっきまでの喧騒を思い返していた。あの賑やかさは、きっと誰かの記憶に残る。大人になってから「そういえば子どもの頃、水族館で…」と思い出すときに、あの声や笑顔が一緒に蘇るんだろう。私にとっての水族館も、もしかしたらそういう場所だったのかもしれない。
結局のところ、水族館って何を見に行く場所なんだろうね。魚? それとも、自分の中の何か?


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