
元町の高架下って、なんであんなに落ち着くんだろう。
初めて連れてきたのは去年の秋だったか、それとももっと前だったか。記憶が曖昧なんだけど、とにかくあの薄暗い感じと、頭上を電車が通るたびに響く鈍い音が妙に心地よくて、それからというもの特に用事がなくても足が向くようになった。二人でぶらぶら歩くのに、ちょうどいい距離感があるというか。観光地みたいに混んでないし、かといって寂れすぎてもいない。その絶妙なバランスが好きなんだと思う。
高架下商店街って呼ぶには少し大げさかもしれないけど、あの独特の空気感は他では味わえない。古い喫茶店、よくわからない雑貨屋、昭和の香りがする洋服の仕立て屋。どの店も「いつからここにあるんだろう」って思わせる佇まいで、シャッターが閉まってるのか営業してるのか判別がつかない店もある。でも、それがいい。
ある日の午後、僕らは何を話すでもなく歩いていた。君が急に立ち止まって、「あ、これ」って指さしたのは、小さな古道具屋のショーウィンドウ。埃をかぶった陶器の人形と、色褪せた絵葉書が無造作に並んでいる。「入ってみる?」って聞いたら、首を横に振って「見てるだけでいい」って。そういうところが君らしいなと思いながら、僕もガラス越しに覗き込んだ。
そういえば前に、この近くで変なもの買ったことがあったな。「モトコーヒー」っていう、いかにも元町っぽい名前のブレンド豆。パッケージに惹かれて買ったんだけど、家で淹れたら予想外に苦くて、結局半分くらい残したまま賞味期限が切れた。あれ、今思い出しても謎の買い物だった…。
高架の向こう側には小さな公園がある。公園というより空き地に遊具を置いただけみたいな場所で、ブランコが二つと、ペンキの剥げた滑り台がひとつ。夕方になると近所の子どもが数人遊びに来るけど、昼間はだいたい誰もいない。僕らはそこのベンチに腰掛けて、自販機で買った缶コーヒーを飲んだ。君は甘いカフェオレ、僕は無糖のブラック。
頭上を電車が通過する。ゴトンゴトンという音が近づいて、一瞬空気が震えて、また遠ざかっていく。その繰り返し。君は缶を両手で包み込むようにして持って、少し前のめりに座っている。何を考えているのか聞こうとして、やめた。別に聞かなくてもいいかなって思った瞬間があって、そういう時間が最近増えた気がする。
公園の隅に猫がいた。茶トラの、丸々太った猫。こっちをちらりと見てから、また毛づくろいを再開する。君が「あの子、前も見た気がする」って言った。僕は覚えてなかったけど、「そうかも」って答えた。本当はどっちでもよくて、ただこの空間に二人でいることが大事だった。
元町の高架下を歩いていると、時間の感覚が曖昧になる。もう何時間ここにいるんだろうって思うこともあれば、まだ十分しか経ってないのかって驚くこともある。スマホを見れば正確な時刻はわかるんだけど、見たくない気持ちのほうが強い。このぼんやりした感じを壊したくないから。
帰り道、君が「また来ようね」って言った。
僕は「うん」とだけ答えて、ポケットに手を突っ込んだ。いつ来るかは決めなかった。決めないほうが、またふらっと来られる気がするから。


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