神戸・三宮の夜、通り過ぎる声だけが残っていく

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三宮の駅前で立ち止まった瞬間、笑い声の塊みたいな集団が横を通り過ぎていった。

金曜の夜9時過ぎ。改札を出たところで靴紐がほどけていることに気づいて、しゃがみこんで結び直していたんだけど、顔を上げたらもう彼らの背中しか見えなくて。5人か6人、たぶん大学生くらいの男女が入り混じった集団で、誰かがずっと喋り続けていて、それに対して別の誰かが「やばいやばい」って連呼してた。内容は全然聞き取れなかったけど、声のトーンだけで楽しそうなのがわかる。

あの「やばい」って言葉、便利すぎない?

私が大学生だった頃は、まだそこまで「やばい」が市民権を得てなかった気がする。今から15年くらい前の話。当時は「マジで?」とか「ウケる」とかが主流で、感情の振れ幅を表現する語彙がもうちょっと多様だった…ような気がするだけかもしれないけど。記憶って都合よく美化されるから、実際はどうだったかなんてもうわからない。

彼らが消えていった方向、たぶんセンター街のほうだと思うんだけど、金曜の夜の三宮ってあの通りが一番賑やかになる。居酒屋の呼び込みの声と、カラオケ店から漏れてくる音と、どこかの店のドアが開くたびに流れ出すBGMが混ざり合って、街全体がひとつの音の塊になってる感じ。私はそのまま反対方向、北野のほうに向かって歩き始めたんだけど、後ろからまた別のグループの声が聞こえてきて。

今度は女性ばかりの4人組で、誰かが「絶対インスタ映えするって!」って言ってた。スマホの画面を囲んで何か見せ合ってる様子が、ガラスに映った影でわかった。彼女たちも私を追い越していって、角を曲がって見えなくなった。声だけが少し残って、それもすぐに夜の空気に溶けていく。

神戸に引っ越してきて3年目になるんだけど、三宮の駅周辺って本当に人の流れが途切れない。東京ほどの密度じゃないし、大阪ほどのエネルギーでもないんだけど、独特のリズムがある。波みたいに人が通り過ぎていって、その合間に数秒の静寂があって、またすぐ次の波がやってくる。

坂道を登りながら、さっきの若い人たちのことを考えていた。彼らは今頃どこで何を食べているんだろう。誰かが「腹減った」って言い出して、「焼き肉?」「いや、ラーメンじゃない?」みたいな会話をしてるのかもしれない。結局誰かの「どこでもいいよ」で決まらなくて、最終的に一番声の大きい人の意見に流されていくんだろう。

そういえば大学時代、友達と神戸に遊びに来たことがあった。当時は京都に住んでいて、三宮まで特急で1時間くらいだったから、思いつきでふらっと来られた。その日も確か金曜日で、「ミラノ座」っていう映画館で何か見た後、どこかのカフェで夜中まで喋ってた記憶がある。何を喋ったかなんて全然覚えてないんだけど、笑いすぎて腹筋が痛くなったことだけは覚えてる。

北野の坂道は夜になると観光客が減って、静かになる。さっきまでの三宮の喧騒が嘘みたいに、風の音と自分の足音しか聞こえなくなる。でも時々、遠くから笑い声が聞こえてくる。どこかの店から出てきた人たちの声か、坂の下のほうから登ってくる声か。

若い人たちの声って、なんであんなに遠くまで届くんだろう。声量の問題じゃなくて、何か別の要素がある気がする。躊躇がないからかもしれない。周りを気にしてないわけじゃないんだろうけど、それよりも今この瞬間の楽しさのほうが勝ってる。そういう時期って確かにあった。

家に着いて、窓を開けたら、また遠くから笑い声が聞こえてきた。風に乗って、断片的に。三宮の駅前で見かけた集団とは別のグループだろうけど、同じような賑やかさを持った声。神戸の夜は、そうやって何層にも重なった声で満たされていて、私はその外側で聞いている。

別に寂しいとかそういうんじゃなくて。ただ、通り過ぎていく人たちの声を聞きながら、自分がここにいることを確認してる感じ。彼らはきっと明日になったら今夜のことなんて半分も覚えてないだろうし、私のことなんて最初から視界に入ってなかっただろうけど。

それでいいんだと思う、たぶん。

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