
金曜の夜、三宮の駅前で立ち止まってしまった。
若い子たちが笑いながら横切っていく。4人組、6人組、カップル。みんな同じ方向に流れていくみたいに見えて、私だけがその流れから外れて、改札の脇でスマホをいじるふりをしている。本当は誰からも連絡なんて来てないんだけど。
去年の今頃は私もあの中にいたはずなんだよね。友達と居酒屋で集まって、終電ギリギリまで喋って、「次いつにする?」って解散する側だった。それが今年に入ってから、誘われる頻度が減って、気づいたら週末の予定が真っ白になっていた。別に喧嘩したわけじゃない。ただ、みんなが少しずつ忙しくなって、タイミングが合わなくなって、LINEグループも既読スルーが増えて。そういうこと。
駅ビルの入口から、また笑い声が溢れてくる。20代前半くらいの女の子たち、みんな髪も服装もきちんとしてて、きっとこれからディナーかバーに行くんだろう。私が彼女たちの年齢だった頃——って、まだ数年しか経ってないんだけど——神戸の夜って本当にキラキラして見えた。三宮の雑踏も、フラワーロードの街灯も、全部が特別な舞台装置みたいで。
ふと、高校生の時に母親と三宮に買い物に来たことを思い出した。あの時も駅前で若い人たちのグループを見て、母が「賑やかでいいわね」って言ったんだ。その時の私は「早く大人になりたい」って思ってた。大人になったら、あのグループの一員になれるって信じてた。
実際、大学生になって、社会人になって、一時期は確かにあの輪の中にいた。けど、それって永遠じゃなかったんだよね。
駅の時計を見上げる。21時過ぎ。まだ帰るには早い時間なのに、私の足は自然とホームへ向かっている。目の前を、また別のグループが通り過ぎていった。男女混合の5人組で、一人が「マジで腹減った〜」って大声で言ってて、みんなで笑ってる。その声が遠ざかっていく。
三宮って、こんなに人がいるのに、孤独を感じる街だと思う。いや、人が多いから余計に感じるのかもしれない。渋谷とか梅田とかもそうなんだろうけど、神戸は私が育った街だから、余計に切ない。知ってる景色の中で一人でいることの、あの妙な居心地の悪さ。
改札を通る時、隣のゲートで大学生らしきカップルが「じゃあ明日ね」って言い合ってた。明日も会う約束がある人たち。羨ましいとかじゃなくて、ただ、そういう日常がまだ自分にもあったことを思い出して、少しだけ胸が痛くなった。
ホームに降りると、電車を待つ人の列。ここにいる人たちも、きっとそれぞれの夜を終えて帰っていくんだろう。賑やかだった時間を終えた人、これから賑やかな時間が始まる人、最初から一人で過ごすつもりだった人。
電車が入ってくる音。ドアが開いて、私は空いてる席に座った。窓の外には、まだ三宮の明かりが見える。あの光の中に、まだたくさんの笑い声があって、たくさんのグループがいて、たくさんの「次いつ会う?」が交わされているんだろう。
私はもう、見送る側になったのかもしれない。それが悪いことなのか、ただの一時的なことなのか、まだわからない。ただ、今日の夜、私は確かに三宮の雑踏の中で、一人で立っていた。
帰りの電車の中で、なんとなくスマホの写真フォルダを開いてみた。去年の夏、友達と三宮で撮った集合写真が出てきた。みんな笑ってる。私も笑ってる。
…あの頃には、もう戻れないんだろうな。


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