週末の午後、私たちは神戸港へと足を運んだ。特別な予定があったわけではない。ただ「海を見たいね」という何気ない会話から、自然とこの場所を選んでいた。デートというほど気負ったものでもなく、かといって普段の散歩とも少し違う。そんな心地よい曖昧さが、二人の関係にはちょうどよかった。
駅を降りると、すぐに潮の香りが鼻をくすぐる。神戸港特有の海風が、街路樹の葉を優しく揺らしながら私たちを出迎えてくれた。この風には不思議な力がある。日常の些細な悩みや疲れを、まるで洗い流してくれるような清々しさがあるのだ。彼女も同じことを感じたのだろう、「気持ちいいね」と小さく呟きながら、自然と歩くペースがゆっくりになっていく。
ハーバーランドの遊歩道を歩きながら、私たちは他愛のない話をした。最近読んだ本のこと、職場であった面白い出来事、次に食べたい料理のこと。会話の内容自体は何でもないものだったけれど、海風に乗って届く彼女の声は、いつもより柔らかく聞こえた。時折、大きな船が汽笛を鳴らす音が響き渡り、私たちの会話は自然と途切れる。でもその沈黙も心地よくて、無理に言葉で埋める必要を感じなかった。
メリケンパークに差し掛かると、神戸港のシンボルともいえる赤い神戸ポートタワーが目の前に現れた。何度見ても飽きない美しいフォルムだ。彼女が「写真撮ろうか」と提案してくれたので、スマートフォンを取り出す。でも結局、風景だけでなく二人で写る写真も何枚か撮った。照れくさそうに笑う彼女の表情が、画面越しでも眩しく見えた。
海沿いのベンチに腰を下ろすと、目の前には穏やかな海が広がっていた。神戸港は大きな港でありながら、どこか親しみやすい雰囲気を持っている。行き交う船を眺めているだけで、時間がゆっくりと流れていくのを感じる。彼女は持ってきたペットボトルのお茶を飲みながら、「こういう時間っていいよね」と呟いた。その言葉に、私も深く頷いた。忙しい日常の中で、こうして何もしない贅沢な時間を共有できることの幸せを、改めて実感する瞬間だった。
海風が少し強くなり、彼女の髪が風に舞った。彼女は慣れた手つきで髪を耳にかけながら、「お腹空いてきたね」と笑う。確かに、いい時間になっていた。私たちは立ち上がり、モザイクの方へと歩き始めた。この辺りには美味しいレストランやカフェがたくさんある。何を食べようか相談しながら歩くのも、デートの楽しみの一つだ。
ショッピングモールを抜けて海側のテラス席があるカフェを見つけた。ちょうど空いている席があったので、迷わず入店する。注文を済ませて席に座ると、目の前には先ほどまで歩いていた港の景色が広がっていた。少し高い位置から見る神戸港は、また違った表情を見せてくれる。運ばれてきたパスタとサンドイッチを分け合いながら、私たちはゆっくりと食事を楽しんだ。
食後のコーヒーを飲みながら、彼女が「また来たいね」と言った。「次は夜に来てみようか。夜景もきれいだよ」と私が答えると、彼女は嬉しそうに頷いた。次のデートの約束ができたことも嬉しかったけれど、それ以上に、彼女が今日という時間を楽しんでくれていることが何より嬉しかった。
カフェを出ると、夕方の気配が漂い始めていた。神戸港の海風は、昼間とは少し違う涼しさを運んでくる。帰りの電車の時間まで、もう少し時間があった。私たちは特に目的地を決めることなく、再び港沿いを歩き始めた。行き交う人々の表情も、どこかのんびりとしていて、この街全体が持つゆったりとした時間の流れを感じさせる。
観覧車が少しずつライトアップされ始めるのが見えた。昼間の青空を背景にした姿も素敵だったけれど、夕暮れ時の幻想的な雰囲気もまた格別だ。彼女も同じものを見ていたようで、「きれいだね」と小さく呟いた。その横顔を見ながら、私は今日という一日が、特別なイベントがなくても十分に素晴らしいものになったことを実感していた。
駅へと向かう道すがら、神戸港の海風が最後にもう一度、優しく私たちを包み込んだ。この風の記憶と、彼女と過ごした穏やかな時間は、きっと長く心に残るだろう。何気ない休日の午後が、かけがえのない思い出に変わる。それが神戸という街の持つ魔法なのかもしれない。電車に揺られながら、私たちは次に訪れる日のことを、すでに楽しみにしていた。
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