
神戸港って、なんであんなに風が強いんだろう。
彼女が「散歩しよう」って言い出したのは確か土曜の昼過ぎで、僕は正直ソファから動きたくなかった。でも断る理由も特になくて、気づいたらメリケンパークあたりをふらふら歩いてた。海沿いの遊歩道は人がまばらで、観光客らしきカップルが数組いるくらい。ベンチに座ってる老夫婦が鳩にパンをやってて、鳩が無駄に増えてる。あれ、本当はダメなやつだよなって思いながら通り過ぎた。
風がやたら冷たくて、三月なのにまだ冬みたいだった。
彼女は薄手のコートしか着てなくて、途中で「寒い」ってぼそっと言ったから、僕のマフラー貸したんだけど。そしたら「ありがと」とか言いながら、なぜか僕の手を引っ張って歩き出した。別に急いでるわけでもないのに、なんとなく早足になっていく。海風に押されてるみたいな感じで、僕らは特に目的地もなく港の方へ進んでいった。潮の匂いと、どこかから漂ってくるコーヒーの香りが混ざって、妙にリラックスする。
ポートタワーが見えてきたあたりで、彼女が突然立ち止まった。「あそこのカフェ、前に来たことある?」って指差す先には、ガラス張りの小洒落た店。名前は「ハーバーサイドロースト」とかそんな感じだったと思う。僕は首を横に振って、「入る?」って聞いたら「今日はいい」って即答された。じゃあなんで聞いたんだよって心の中でツッコんだけど、まあいいかと思ってまた歩き始めた。
そういえば去年の夏、ここで友達と花火見たんだよね。あの時は人混みがすごくて、身動き取れなくて、結局花火より人の頭しか見えなかったっていう。今日みたいに静かな港の方がずっといい。
彼女が「ねえ、あの船どこ行くんだろうね」って言うから、僕も海の方を見た。白い船体の観光船が、ゆっくりと岸壁を離れていくところだった。デッキに立ってる人たちが手を振ってて、誰に向けてるのかわからないけど、なんとなく僕らも手を振り返した。船が遠ざかるにつれて、エンジン音が小さくなって、代わりにカモメの鳴き声が聞こえてくる。彼女は黙ったまま船を見送ってて、僕もそれ以上何も言わなかった。言葉にする必要がないっていうか、この瞬間がそのまま流れていけばいいなって思ってた。
防波堤の近くまで来ると、さすがに風が強すぎて前に進めなくなった。
彼女の髪が顔にかかって、それを払いのけようとしてる姿がなんか可笑しくて、思わず笑ってしまった。「何笑ってんの」って怒られたけど、怒ってるふりなのがバレバレで、結局彼女も笑い出した。こういう時間が一番好きだ。特別なことは何もないけど、何もないからこそ覚えてる気がする。僕らはそのまま引き返すことにして、今度は風を背中に受けながらゆっくり歩いた。さっきより楽だったけど、なんとなく物足りない感じもした。
帰り道、彼女が「また来ようね」って言った。僕は「うん」とだけ答えて、マフラーを返してもらうのを忘れたまま駅に向かった。
家に帰ってから気づいたんだけど、あのマフラー、まだ彼女が持ってる。まあいいか、また会う口実になるし。

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