
神戸港に着いたのは、確か午後2時過ぎだったと思う。
彼女が「今日はどこか歩きたい」って言い出したのが始まりで、僕は特に予定もなかったから「じゃあ海でも見に行く?」って適当に答えたんだけど、それが思いのほか良い選択だった。港に近づくにつれて、車の窓から入ってくる風が少しずつ塩っぽくなっていくのが分かって、ああ海が近いんだなって実感する。駐車場に車を停めて外に出ると、予想以上に強い海風が顔に当たった。4月の終わりって、まだこんなに風が冷たいんだっけ。
彼女は風で髪が乱れるのも気にせず、もう歩き出していて。
僕らが選んだルートは、メリケンパークからハーバーランド方面へ向かう、いわゆる定番コースだ。観光客も多いし、正直「デートスポット」って感じで少し照れくさい気もしたんだけど、まあいいかと思った。平日の午後だからか、思ったより人は少なくて、ベンチに座ってるカップルとか、犬の散歩をしてるおじさんとか、ジョギングしてる人とかが点々といるくらい。波止場に停まってる船を眺めながら、彼女が「あの船、どこ行くんだろうね」ってぽつりと言った。僕は「さあ、淡路島とか?」って適当に答えたけど、本当のところは知らない。でも、そういう会話でいいんだと思う。答えを求めてるわけじゃなくて、ただ口に出してみたかっただけ。
そういえば僕、去年の夏に一人で神戸に来たことがあって。その時は仕事の打ち合わせで三宮まで来たんだけど、帰りの新幹線まで時間があったから、一人でこの辺りをふらふら歩いたんだよね。真夏だったから暑くて、汗だくになりながらコンビニでアイスコーヒー買って、ベンチで飲んでた記憶がある。あの時は一人で歩いてて少し寂しかったけど、今こうして二人で歩いてると、同じ場所なのに全然違う景色に見えるから不思議だ。
彼女が突然立ち止まって、「あ、あれ食べたい」って指差した先には、クレープ屋の屋台があった。「ポートサイド・クレープ」って手書きの看板が出てて、いかにも観光地っぽい。僕は甘いものそんなに得意じゃないんだけど、彼女が嬉しそうに「チョコバナナにする」って言うから、僕も適当にイチゴのやつを頼んだ。待ってる間、彼女は海の方をずっと見てて、風で前髪が顔にかかるのを何度も手で払ってた。その仕草がなんだか子どもっぽくて、ちょっと笑えた。
クレープを受け取って、僕らはまた歩き始めた。食べながら歩くのって、実は結構難しい。クリームが垂れそうになるし、風は強いし、彼女なんて途中で「やばい、落ちる!」って小さく叫んでた。僕のイチゴのやつは思ったより酸っぱくて、正直ハズレだったかもしれない…だけど。
遊歩道沿いには、ところどころにベンチがあって、僕らはその中の一つに座った。目の前には海が広がってて、少し遠くに見える六甲山の稜線がぼんやりと霞んでいる。彼女はクレープを食べ終えて、ポケットからティッシュを取り出して指を拭いてた。「気持ちいいね」って彼女が言うから、僕も「うん」とだけ答えた。本当に、それ以上の言葉はいらなかった。海風が顔に当たって、少しだけ目を細める。波の音が、規則的に聞こえてくる。
ベンチを立って、またゆっくり歩き出す。ハーバーランドの観覧車が近づいてきて、その大きさに改めて驚く。昔、一度だけあれに乗ったことがあるんだけど、高所恐怖症の僕には結構きつかった記憶がある。彼女に「観覧車乗る?」って聞いてみたら、「今日はいい」って即答された。よかった、助かった。
時刻は4時を回っていて、太陽の位置も少しずつ低くなってきている。光の角度が変わると、海の色も微妙に変わって見える。さっきまで青かった海が、今は少し緑がかって見える。彼女は相変わらず、特に何を話すでもなく、ただ僕の隣を歩いている。たまに「あ、猫」とか「あの建物かっこいい」とか、思いついたことを口にするくらい。
僕らはどこに向かってるわけでもなく、ただ歩いてる。目的地なんてない散歩。こういう時間って、実は贅沢なんじゃないかと思う。予定を詰め込んで、あれもこれもって欲張るより、ただ風に吹かれて、海を見て、たまにクレープ食べて。それだけで十分だった。
結局、僕らは5時近くまで港の周りをうろうろして、それから駐車場に戻った。車に乗り込んで、エンジンをかける。彼女はシートベルトを締めながら、「また来ようね」って言った。僕は「うん、また来よう」って答えたけど、次がいつになるかは分からない。でも、それでいいと思ってる。

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