神戸の街には山と海が同居する独特の風景がある。その中でも須磨海岸は、神戸市民にとって特別な場所として長く愛されてきた。夏になると砂浜は色とりどりのパラソルで埋め尽くされ、子どもたちの歓声と波音が混じり合う。しかし、その賑わいが去った後の須磨海岸には、また別の魅力が静かに息づいている。
須磨海岸へ向かう道すがら、潮の香りが次第に濃くなっていく。JR須磨駅を降りて海側へ歩けば、わずか数分で視界が開け、青い海が目の前に広がる。この近さが須磨海岸の魅力のひとつだ。都会の喧騒から一歩離れるだけで、波打ち際に立つことができる。海の香りを胸いっぱいに吸い込むと、日常の緊張が少しずつほどけていくのを感じる。
夏の須磨海岸は、まさに神戸の夏を象徴する風景だ。海水浴客で賑わう砂浜には、家族連れやカップル、友人同士のグループが思い思いの時間を過ごしている。ビーチバレーに興じる若者たち、波打ち際で水遊びをする子どもたち、パラソルの下で読書を楽しむ人々。それぞれの夏の物語がここにある。海の家から漂う焼きそばやかき氷の匂いも、夏の須磨海岸に欠かせない要素だ。
しかし、私が本当に須磨海岸の魅力を感じるのは、夏の喧騒が去った後の静かな時間帯だ。早朝の砂浜を歩くと、まだ人影はまばらで、波の音だけが規則正しく響いている。朝日が海面を照らし、キラキラと光の道を作る様子は何度見ても飽きることがない。裸足で砂浜を歩けば、夜の間に冷えた砂の感触が心地よく、一歩一歩に小さな発見がある。貝殻や海藻、時には珍しい漂着物に出会うこともある。
秋から冬にかけての須磨海岸は、さらに静けさを増す。海水浴シーズンが終わり、観光客の姿も減ると、須磨海岸は地元の人々の散歩道へと姿を変える。ジョギングをする人、犬を連れて散歩する人、ただ海を眺めながら物思いにふける人。それぞれが自分のペースで海岸線を行き来する。この時期の海の香りは、夏とは少し違う。潮の香りに混じって、どこか冷たく引き締まった空気の匂いがする。
須磨海岸の砂浜は、神戸の中でも特に広く美しい。約1.8キロメートルにわたって続く砂浜は、歩いても歩いても飽きることがない。西側には須磨浦公園があり、ロープウェイで山上まで登ることもできる。東側には須磨海浜水族園があり、海の生き物たちと触れ合うこともできる。しかし、何もせずただ砂浜を歩くだけでも、十分に心が満たされる時間になる。
夕暮れ時の須磨海岸も格別だ。西に沈む太陽が海を赤く染め、明石海峡大橋のシルエットが浮かび上がる。この時間帯になると、カメラを手にした人々が集まり始める。誰もが同じ光景を撮影しているようでいて、実は一人ひとりが違う瞬間を切り取っている。夕日を背景にしたカップルの姿、波打ち際で遊ぶ子どもたちのシルエット、ただ静かに海を見つめる老人の後ろ姿。それぞれの物語が夕日に照らされている。
須磨海岸を歩いていると、神戸という街の歴史も感じられる。かつて平敦盛が討たれたという須磨の浦の物語、源氏物語にも登場する須磨の地。古くから多くの人々がこの海を眺め、様々な思いを抱いてきたのだろう。現代の私たちも、同じ海を見つめながら、それぞれの思いを馳せている。時代は変わっても、海の香りと波の音は変わらずここにある。
砂浜を歩きながら、ふと足を止めて海を眺める。遠くに船が行き交い、カモメが鳴きながら飛んでいく。波は絶え間なく打ち寄せては引いていく。この繰り返しを何千年、何万年と続けてきたのだと思うと、自分の悩みや焦りが小さく感じられる。海には人を謙虚にさせる力がある。
神戸の須磨海岸は、夏には多くの人々に喜びを与え、それ以外の季節には静かな癒しの空間となる。どちらの顔も須磨海岸の魅力であり、訪れる時期や時間帯によって全く違う表情を見せてくれる。海の香りを感じながら砂浜を歩く時間は、神戸に暮らす幸せを実感させてくれる貴重な瞬間だ。忙しい日常に疲れたとき、心が乱れたとき、ふらりと須磨海岸を訪れてみてほしい。波の音と海の香りが、きっとあなたの心を静かに包み込んでくれるはずだ。
コメント