
神戸の北野坂を訪れたのは、秋の終わりを感じさせる十一月の午後だった。肌に触れる風はまだ冷たすぎず、コートを羽織るには少し早い。けれど日が傾き始めると、途端に空気が引き締まる。そんな微妙な季節の境目に、私たちは四人で異人館を巡る計画を立てていた。
集合場所の三宮駅で待ち合わせたとき、友人のひとりがコンビニで買ったばかりの缶コーヒーを片手に現れた。「坂道きついって聞いたから、先に飲んどこうと思って」と笑いながら言うその姿が、妙に旅慣れた雰囲気を醸し出している。実際は彼女も初めての神戸観光だったのだけれど。
北野坂は思っていたよりも急だった。最初のうちこそ「まだ余裕だね」なんて言い合っていたものの、五分も歩かないうちに会話のテンポが微妙に落ちていく。息が上がっているのを隠すように、誰かが「あ、あの建物おしゃれじゃない?」と指差す。確かにおしゃれだ。でもそれ以上に、立ち止まる口実が欲しかったのかもしれない。
坂の途中にある小さなカフェの前を通りかかったとき、店先に置かれたアンティーク調の椅子が目に留まった。その椅子の背もたれには、”Maison Lumière”という金色の文字が刻まれている。誰も座っていなかったけれど、まるでそこだけ時間が止まっているような静けさがあった。私たちはその前で足を止め、なんとなく写真を撮った。
異人館街に入ると、空気が少し変わる。坂の上だからか、風が強く吹き抜けていく。建物の間を抜ける風の音が、どこか懐かしい。小学生の頃、祖母の家に行くと必ず通っていた石畳の道を思い出した。あの道も、風が吹くとこんなふうに音を立てていた気がする。
最初に入ったのは、うろこの家と呼ばれる異人館だった。外壁に貼られた天然石が、まるで魚の鱗のように見えることから名付けられたという。中に入ると、ひんやりとした空気が肌に触れる。木の床がわずかに軋む音が、建物の歴史を物語っているようだった。展示されている調度品を眺めながら、友人のひとりが「ここに住んでた人、どんな生活してたんだろうね」とぽつりと呟いた。
二階の窓から見下ろす神戸の街並みは、予想以上に美しかった。港の方まで視界が開けていて、遠くに海が光っているのが見える。そこでまた誰かが写真を撮り始め、私たちは順番にその窓辺に立った。光の加減で、ガラスに自分たちの姿がうっすらと映り込む。
次に向かったのは、風見鶏の館。赤いレンガ造りの建物は、観光パンフレットで何度も見たことがあった。けれど実際に目の前にすると、その存在感は写真とは全く違う。屋根の上で風見鶏がゆっくりと向きを変えているのを見上げながら、私たちは入口へと歩いていった。
館内を巡っているとき、ひとつの部屋で立ち止まった。そこには暖炉があり、その前に置かれた椅子が妙に居心地良さそうに見えた。友人のひとりが「ちょっと座ってみていい?」と言って、そっと腰を下ろす。すると係員の方が優しく「そちらは展示品なので…」と声をかけてきた。彼女は慌てて立ち上がり、顔を赤らめながら「すみません!」と謝っていた。その様子があまりにも微笑ましくて、私たちは思わず笑ってしまった。本人は恥ずかしそうにしていたけれど、その後もずっと「あの椅子、本当に座り心地良さそうだったんだよ」と言い訳していた。
館を出て、また坂道を歩き始める。少し歩いたところにあるベンチで休憩することにした。誰かが持ってきた飴を分け合いながら、さっき見た建物の話をする。「あの食器、めっちゃ綺麗だったよね」「窓の形が独特だった」「階段が急すぎて怖かった」。そんな他愛もない会話が、心地よく流れていく。
夕方が近づくにつれて、街灯がひとつずつ灯り始めた。オレンジ色の光が石畳を照らし、異人館の輪郭を浮かび上がらせる。昼間とはまた違った表情を見せる街並みに、私たちはしばらく立ち尽くしていた。
帰り道、坂を下りながら「また来たいね」と誰かが言った。他のみんなも「うん」と頷く。神戸の街が、少しだけ特別な場所になった気がした。北野坂の急な傾斜も、風見鶏の館の赤いレンガも、友人の小さな失敗も、全部ひっくるめてこの日の記憶になっていく。
駅に戻る頃には、すっかり日が暮れていた。街の灯りが増えて、三宮の雑踏が私たちを迎え入れる。また日常に戻っていくのだと思うと、少しだけ名残惜しい。けれどそれもまた、旅の終わりらしい感覚なのかもしれない。

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