
元町の高架下って、なんであんなに落ち着くんだろう。
友達と二人で歩いてたのは確か秋口で、夕方の4時過ぎくらいだったと思う。高架下商店街の独特な薄暗さが、ちょうど陽の傾きと混ざって、オレンジと灰色が入り混じったような空気になってた。電車が通るたびに頭上でゴトゴトって音がして、それがなんだか心地よくて。あの音、嫌いじゃない。むしろ好きかもしれない。
商店街を抜けて公園の方へ向かう途中、急に友達が「お腹空いたな」って言い出して、結局コンビニでおにぎり買って、ベンチで食べることになった。公園っていっても小さい広場みたいなやつで、滑り台とブランコがあって、夕方だから子供の声もまばら。私たちはただ座って、おにぎりをほおばりながら、特に何を話すでもなくぼーっとしてた。
思い出したんだけど、前に一人でここ歩いたときは全然つまんなかったんだよね。同じ道なのに、景色が違って見えるっていうか。一人だと「早く目的地に着かなきゃ」ってせかせかしちゃうし、店の看板とか全然目に入ってこない。でも二人だと、歩くスピードが自然とゆっくりになる。「あ、この店まだあるんだ」とか「このポスター昭和っぽいね」とか、どうでもいいことを拾いながら進む感じ。
高架下の店って、どこか時間が止まってる感じがする。
昔ながらの靴屋とか、喫茶店とか、謎の雑貨屋とか。シャッター閉まってる店も多いけど、それがまたいい味出してるというか。友達が「ここ、昔おばあちゃんと来たことある気がする」って急に言い出して、でも記憶が曖昧で結局どの店だったか分からないまま話が終わった。そういう中途半端な会話が、なぜか心地いい。
足元のアスファルトはひび割れてて、ところどころ水たまりの跡が残ってる。雨上がりだったのかな、湿った空気が鼻をくすぐる。高架の柱には落書きみたいな張り紙が何枚も重なってて、一番上のやつだけ新しい。「フリーマーケット開催」って書いてあったけど、日付は二ヶ月前だった。
公園のベンチに座ってると、犬の散歩してるおじさんが通りかかった。柴犬。めちゃくちゃ可愛い。目が合ったら尻尾振ってくれて、それだけでなんか得した気分になる。友達が「犬飼いたいな」ってぽつりと言って、私も「わかる」って返したけど、お互い一人暮らしだし現実的には無理だよねって空気になって、それ以上は何も言わなかった。
高架下を歩くのって、目的がなくていい。
むしろ目的がない方がいいのかもしれない。三宮に用事があって、そのついでに寄るくらいの距離感がちょうどいい。わざわざ「元町の高架下を見に行こう!」って計画立てると、きっと何も面白くない。ふらっと迷い込んで、なんとなく歩いて、気づいたら30分くらい経ってる、くらいがベスト。
友達が「そろそろ行く?」って聞いてきたけど、私は「もうちょっとだけ」って答えた。別に急ぐ理由もなかったし、このまま座ってるのが心地よかったから。電車の音がまた頭上を通り過ぎて、風が少しだけ冷たくなってきた。秋だなって思った。
結局、私たちはあと10分くらいそこにいた。特に何をするでもなく、スマホをいじるでもなく、ただ座ってた。たまにこういう時間が必要なんだと思う。何も生産しない、何も達成しない、ただそこにいるだけの時間。
元町の高架下は、そういう時間を許してくれる場所だった。二人で歩くと、その「許し」がもっと強くなる気がする。一人だと罪悪感があるけど、二人なら「まあ、いいか」って思える。そういうこと。
帰り道、友達が「また来ようね」って言ったけど、私は曖昧に笑っただけだった。また来るかもしれないし、来ないかもしれない。それでいいと思ってる。


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