神戸・三宮の夜、笑い声だけが残っていく

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金曜の夜、三宮の駅前で立ち止まってしまった。

若い子たちの集団が横を通り過ぎていく。5人くらいだろうか、みんなスマホ片手に何か叫んでいて、その声が交差点の信号待ちの静けさを一瞬だけ切り裂いていく。私はコンビニのコーヒーを持ったまま、その背中を見送っていた。別に何か特別なことがあったわけじゃない。ただ、ふと気づいたんだ。ああ、自分はもうあの輪の中にいないんだなって。

彼らが消えた後の空気には、ほんの少しだけ温度が残っていた気がする。香水の匂いとか、誰かが食べていたファストフードの油っぽい匂いとか、そういうのが混ざって、でもすぐに夜風に溶けていく。三宮の繁華街ってそういう場所だ。人が通り過ぎるたびに、何かが置き去りにされて、でもすぐに次の誰かがやってきて上書きしていく。

私も昔はあんなふうに笑いながら歩いていたんだろうか。20代前半、友達と飲んで終電を逃して、意味もなくセンター街をうろついて、24時間営業のカラオケ屋に流れ込んで。あの頃の記憶って、なぜか全部夜の景色なんだよね。昼間に会っていたはずなのに、思い出すのはいつもネオンの光と、アスファルトの冷たさと、誰かが転びそうになって笑った声ばかり。

ところで最近、近所にできたパン屋の「ブーランジュリー・ソレイユ」ってところのクロワッサンがめちゃくちゃうまくて。朝7時に焼きたてが出るんだけど、これが本当にバターの香りがすごくて、家に持って帰る途中で我慢できなくなって路上で食べちゃったことがある。三宮とは全然関係ないんだけど…まあいいか。

話を戻すと、あの若い子たちは多分、これから居酒屋に行くか、誰かの家に集まるか、そんな感じなんだろう。スマホの画面を覗き込みながら道を確認して、時々立ち止まって、また歩き出す。その動きに迷いがない。自分たちがどこに向かっているのか、ちゃんとわかっている顔をしている。

私が彼らの年齢だった頃、神戸の街はもう少し違った顔をしていた気がする。いや、街が変わったんじゃなくて、私の見え方が変わっただけかもしれない。当時は全部がキラキラして見えた。駅前の雑居ビルも、ちょっと薄暗い路地裏も、終電後のタクシー乗り場も。今はただの風景でしかないけれど。

あの子たちの笑い声が遠ざかっていくのを聞きながら、私はコーヒーを一口飲んだ。もうぬるくなっていた。

賑やかさって、不思議なものだと思う。その場にいる人たちにとっては当たり前の空気なのに、少し離れたところから見ると、まるで別世界の出来事みたいに見える。ガラス越しに見る水族館の魚みたいな。手を伸ばしても届かない、触れられない何か。

三宮の夜は毎晩こんなふうに人が行き交っている。若い子たちだけじゃない。仕事帰りのサラリーマンも、買い物袋を抱えた主婦も、ヘッドホンをつけて黙々と歩く学生も。みんなそれぞれの速度で、それぞれの方向に進んでいる。私はその中の一人でしかなくて、でも時々、こうやって立ち止まって周りを見渡してしまう。

あの子たちはもう角を曲がって見えなくなった。笑い声だけがまだ少し耳に残っている気がするけど、それも多分気のせいだ。

結局、私は何を考えていたんだろう。別に寂しいわけでもないし、羨ましいわけでもない。ただ、通り過ぎていくものを見ていただけ。それだけのこと。

コーヒーを飲み干して、カップをゴミ箱に捨てる。私もそろそろ帰ろう。明日は土曜日だけど、特に予定もない。まあ、そういう日もある。

神戸の夜は今日も変わらず続いていく。

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