
三宮の駅前で信号待ちをしていると、横を通り過ぎていく若い人たちの声がやけに大きく聞こえた。
5人くらいのグループだったと思う。みんなスマホを片手に、誰かが何か言うたびに爆笑していて、その笑い声が夜の街に溶けていく。僕はイヤホンを外して、なんとなくその後ろ姿を目で追っていた。彼らは多分、これから居酒屋かカラオケにでも行くんだろう。金曜の夜、20時過ぎ。神戸の繁華街はこういう賑やかさで溢れている。
別に羨ましいとか、そういう感情じゃないんだけど。
僕も昔はあんなふうに友達と街を歩いていたはずなのに、今となってはその記憶がぼんやりしている。大学生の頃だったか、それとも社会人になりたての頃だったか。とにかく、何をするでもなくただ集まって、適当な店に入って、適当に騒いで、終電ぎりぎりまで遊んでいた。あの頃の僕らも、誰かから見たら「賑やかに過ぎ去っていく若者」だったんだろうなと思う。でも当の本人たちは、自分たちがそんなふうに見られているなんて意識もしていなくて、ただ目の前の楽しさに夢中だった。
三宮の街を歩いていると、そういう若いグループに何度も遭遇する。センター街のアーケードでも、東門街でも、トアロードのあたりでも。彼らはいつも複数人で、いつも笑っていて、いつも次の場所へ向かっている。その移動のスピード感がすごい。立ち止まらない。迷わない。誰かがスマホで検索して「ここ良さそう」って言ったら即決で、次の瞬間にはもう歩き出している。
僕が彼らと決定的に違うのは、そのスピード感なんだと思う。
最近の僕は、どこかに行くにしても一人で下調べをして、口コミを読んで、Google Mapsのストリートビューまで確認してから行く。友達と会う約束をするときも、日程調整に1週間かかったりする。そうやって慎重に計画を立てるうちに、なんだか疲れてしまって、結局「また今度にしよう」ってなることも多い。若い人たちのあの即決力、あの勢いは、もう僕の中にはない。
そういえば先週、久しぶりに大学時代の友人から連絡が来た。「神戸に出張で行くから飲もう」って。僕は即答できなくて、「ちょっとスケジュール確認する」って返した。でも本当はスケジュールなんて何もなくて、ただ単に、急に人と会うことへの心の準備ができていなかっただけ。結局その日は会わなかった。今思えば、会えばよかったのかもしれないけど。
話が逸れた。
三宮の若者グループの話だった。彼らを見ていると、時間の流れ方が違うように感じる。僕の時間はゆっくりで、重くて、粘り気がある。彼らの時間は軽くて、速くて、次々に更新されていく。同じ街を歩いているのに、まるで別の次元にいるみたいだ。信号が青になって、僕は横断歩道を渡る。さっきの若者グループはもう視界から消えていて、代わりに別のグループが角を曲がってくる。今度は女性ばかりのグループで、みんなお揃いのトートバッグを持っている。どこかのブランドの限定品だろうか。「ルミエールコレクション」とか、そんな感じのロゴが見えた気がする。
彼女たちもまた、笑いながら過ぎ去っていく。
僕はコンビニに寄って、缶コーヒーを買った。店内の蛍光灯が妙に明るくて、少し目が痛い。レジの店員は外国人で、片言の日本語で「温めますか」と聞いてくる。いや、これコーヒーだから温めないよ、と心の中でツッコミを入れながら首を横に振る。店を出ると、また別の若者グループが通り過ぎていった。
神戸の夜は、こうやって何度も何度も、若い人たちに更新されていく。彼らは次々にやってきて、賑やかに笑って、そして去っていく。僕はその流れの外側にいて、缶コーヒーを片手に、ただ眺めている。別にそれが悪いことだとは思わない。ただ、少しだけ不思議な感じがするだけ。
いつから僕は、この側にいるようになったんだろう。
そんなことを考えながら、僕はまた歩き出す。どこに向かうでもなく、ただ家に帰るために。若者たちの笑い声は、もう遠くで小さくなっている。

コメント