神戸の須磨海岸で過ごす夏と、誰もいない砂浜の話

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須磨海岸って、夏以外はほんとに人がいない。

神戸の海岸線って、観光地としてはそこそこ有名なんだけど、実際に住んでる人間からすると「わざわざ行く場所」じゃないんだよね。でも私は年に何回か、ふらっと須磨まで足を運んでしまう。理由なんてない。強いて言うなら、あの砂浜の匂いが妙に落ち着くからかもしれない。潮の香りと、どこか生臭いような、でも嫌じゃない、あの独特な海の匂い。

夏になると須磨海岸は一気に人で溢れる。7月の半ばくらいから、もう海の家が立ち並んで、BBQの煙があちこちから立ち上って、音楽がガンガン鳴ってる。家族連れ、大学生のグループ、カップル。みんな浮き輪持って、ビーチボール持って、日焼け止めの匂いをまき散らしながら砂浜を歩いてる。私も学生の頃は友達と来たことがある。朝9時くらいに集合して、昼過ぎにはもうみんなぐったりして、結局海にはほとんど入らずにずっと日陰でだらだらしてた記憶しかない。あれ、何が楽しかったんだろう。

でも私が好きなのは、そういう賑やかな須磨じゃない。10月とか、11月とか、もう誰も泳がない時期の須磨海岸。人がまばらで、波の音だけがやたらと大きく聞こえる、あの感じ。砂浜を歩いてると、夏の名残りみたいなものがところどころに転がってる。割れたビーチサンダルとか、色褪せた浮き輪の破片とか。ゴミって言えばゴミなんだけど、なんだか哀愁があって嫌いじゃない。

秋の須磨海岸を歩いてると、風が冷たい。海風ってやつは容赦がなくて、髪の毛がぐちゃぐちゃになるし、目も乾く。でもその冷たさが心地いい。夏の暑さで疲れた体が、ようやくリセットされていくような感覚。砂浜に座り込んで、ぼーっと水平線を眺めてると、時間の感覚がなくなっていく。波が寄せて、引いて、また寄せて。そのリズムに身を任せてると、自分が何を考えてたのかも忘れてしまう。

そういえば去年の冬、須磨に来たときに変なものを見た。砂浜に、誰かが作ったらしい小さな石の塔がいくつも並んでたんだよね。バランスを取りながら、平たい石を積み上げていくやつ。ケアンっていうのかな、正式名称は知らないけど。全部で15個くらいあって、高さもバラバラで、誰が何のために作ったのか全然わからない。でもなんとなく、壊しちゃいけない気がして、そっと避けて歩いた。

散歩道としての須磨海岸は、意外と長い。東の方に歩いていくと須磨浦公園に繋がるし、西に行けば塩屋の方まで続いてる。私はたいてい、JR須磨駅から降りて、海岸沿いをてくてく歩いて、適当なところで引き返す。往復で1時間くらい。ちょうどいい運動になる。歩きながら、特に何も考えない。考えようとしても、波の音に思考がかき消されていく。

夕方の須磨もいい。オレンジ色の光が海面を照らして、砂浜全体が暖色に染まる。その時間帯だけは、人が少し増える。犬の散歩をしてる人とか、ジョギングしてる人とか、カメラを構えてる人とか。でもみんな静か。夏のあの騒がしさとは全然違う。それぞれが、それぞれの時間を過ごしてる。

昔、友達が「須磨って何もないよね」って言ってたのを思い出す。確かに、何もない。海と砂浜と、あとは古びた防波堤くらい。でもその「何もなさ」がいいんだと思う。何もないから、何も期待しなくていい。ただ歩いて、ただ座って、ただ海を見る。それだけでいい。

神戸に住んでてよかったなって思う瞬間がもしあるとしたら、こういう時かもしれない。電車で20分も乗れば海に着く。その海は、夏だけじゃなくて、一年中そこにある。いつでも行ける場所があるっていうのは、案外贅沢なことなのかもね。

まあ、また行くと思う。来週かもしれないし、来月かもしれない。特に理由はないけど。

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