
須磨海岸に着いたのは朝の8時前だった。
夏の須磨海岸って、正直なところ人が多すぎてちょっと疲れるんだけど、それでもあの独特の空気感が好きで毎年足を運んでしまう。駅を降りた瞬間から漂ってくる潮の香りと、どこかで焼いているバーベキューの匂いが混ざり合って、ああ夏だなって思わせてくれる。砂浜に出ると、もう家族連れやカップルで賑わっていて、子どもたちの声が波の音に混じって聞こえてくる。パラソルの下で缶ビールを開けながら、ぼんやり海を眺めているだけで時間が過ぎていく。泳ぐというより、ただそこにいることが目的になっている気がする。
去年の夏、友人と一緒に来たときのことを思い出す。彼は「神戸で海水浴って意外だよね」なんて言っていたけれど、須磨は昔から海水浴場として知られている場所で、地元の人間にとっては当たり前の夏の風景なんだ。ただ、確かに「神戸」って聞くと、港町のおしゃれなイメージが先行するから、砂浜で遊ぶ姿は想像しにくいのかもしれない。
でも本当に好きなのは、実は冬の須磨海岸だったりする。
誰もいない12月の午後、灰色の空の下で波が打ち寄せる音だけが響いている景色。夏の喧騒が嘘みたいに静かで、砂浜を歩いていると自分の足音さえはっきり聞こえる。冷たい風が頬を撫でて、海の香りも夏とは違ってどこか鋭い。塩分を含んだ空気が肺に入ってくると、妙に気持ちが引き締まる感じがする。散歩している人もまばらで、犬を連れた老夫婦とすれ違うくらい。たまにジョギングしている人がいるけれど、基本的には自分だけの世界。
そういえば、前に冬の須磨で変なものを拾ったことがある。
砂浜に落ちていた古びたサングラスで、フレームには「KOBE MARINE」って刻印があった。たぶん地元の雑貨屋か何かのオリジナル商品だと思うんだけど、どう見ても80年代っぽいデザインで、誰がこんなの落としたんだろうって笑ってしまった。持って帰ろうかとも思ったけど、結局そのまま砂の上に置いてきた。今もあそこにあるのかな、なんてたまに考える。
冬の須磨海岸を歩いていると、夏の記憶が不思議な形で蘇ってくる。同じ場所なのに、季節が変わるだけでこんなにも表情が違う。夏は太陽の光で砂が白く輝いて、海も青く見えるけれど、冬は全体がモノトーンになる。でもそのモノトーンの中に、妙な温かさがある気がするんだ。人がいないからこそ、自分と海との距離が近くなるというか。
波打ち際まで行って、靴を脱いで足を浸けてみたこともある。2月の海水は予想以上に冷たくて、30秒も我慢できなかった。足首まで浸かっただけなのに、体全体が冷えていくような感覚があって、慌てて引き上げた。タオルも持ってきていなくて、靴下で必死に水気を拭き取ったのは、今思い出しても間抜けな話だけど。
神戸の海岸線は、三宮や元町のような華やかさとは違う魅力がある。観光地としてのキラキラした部分じゃなくて、もっと日常に近い場所。地元の高校生がたまり場にしていたり、早朝にランニングしているサラリーマンがいたり、釣りをしているおじさんがいたり。生活の一部として海がある感じ。
夏と冬、どちらの須磨が好きかって聞かれたら、正直答えられない。夏の賑やかさも、冬の静けさも、どちらも須磨海岸の一部で、どちらも必要な気がする。季節ごとに違う顔を見せてくれるから、何度行っても飽きないのかもしれない。
最近はあまり頻繁には行けていないけれど、ふと思い立ったときに電車に乗って、須磨まで足を伸ばす。特に目的があるわけじゃない。ただ砂浜を歩いて、波の音を聞いて、海の香りを感じて、それだけ。それだけで十分な気がしている。
次はいつ行こうかな、なんて考えながら、また日常に戻っていく。

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