神戸の須磨海岸で気づいた、夏以外の海の顔

Uncategorized

ALT

須磨海岸って、正直夏しか行ったことなかった。

去年の11月だったかな、ふと思い立って須磨まで足を伸ばしてみたんだよね。別に目的があったわけじゃなくて、なんとなく電車に乗って、なんとなく降りた。平日の午後3時過ぎ、改札を出たらもう潮の匂いがして、ああそうだここ海だったって思い出した。夏に来たときは人混みと焼けたアスファルトの熱気しか記憶になかったから、この静けさが妙に新鮮で。

砂浜に出ると、人がほとんどいない。犬の散歩をしてる人が二人、ジョギングしてる男性が一人。波の音がやけにはっきり聞こえる。夏の須磨海岸って、音楽とか歓声とか、とにかく音が多層的に重なってるじゃない? あれが全部消えると、こんなに波って規則正しいリズムを刻んでたんだなって気づく。砂を踏む音も、夏はビーチサンダルでパタパタだったけど、スニーカーだとキュッキュッて鳴るんだよね。

海の色も違った。夏の海ってキラキラしてて、太陽の反射がまぶしくて、正面から見られないくらいだったのに、11月の海は灰色がかった青で、空の色をそのまま映してる感じ。風が冷たくて、ジャケットの襟を立てながら歩いてたら、なんだか自分が映画の登場人物にでもなったような気分になってきて。

そういえば大学生のとき、友達が「冬の海ってエモいよね」って言ってて、当時は「は? 寒いだけじゃん」って思ってたんだけど。

あのときの自分、ごめん。わかったわ、エモいわ。

防波堤のあたりまで歩いていくと、釣りをしてるおじさんが三人くらいいて、その横をすり抜けて先端まで行った。ここまで来ると風がもっと強くて、髪がバサバサになるんだけど、それも含めて気持ちいい。海面を見てると、波が防波堤にぶつかって砕ける瞬間の白い泡が、なんかレース編みみたいに見えてきて。こういう感覚って夏には絶対なかったな。夏は「海で遊ぶ」モードだから、観察する余裕がないんだよね。泳ぐか、浮き輪で浮かぶか、ビーチバレーするか、みたいな。

戻り道、砂浜に座ってみた。砂が冷たい。尻が冷える。でもなんか、そのまま座ってた。目の前を小さい子どもが走っていって、その後ろからお母さんが「危ないよー」って追いかけてる。微笑ましい光景だなと思いながら、ふとポケットからスマホを取り出して写真を撮ろうとしたら、バッテリーが3%しかなくて。ああ、充電し忘れてた。まあいいか、って思った。写真に残さなくても、この感じは覚えてられる気がしたから。

須磨海岸の近くに「マリンテラス」っていうカフェがあって、そこでホットコーヒーを買って、またしばらく海を眺めてた。紙コップから立ち上る湯気と、海から吹いてくる冷たい風のコントラストが妙に心地よくて。コーヒーの苦味と潮の香りが混ざって、なんとも言えない味になるんだけど、それも悪くない。

夏の須磨海岸は、確かに楽しい。友達とワイワイ騒いで、海に入って、日焼けして、夜は花火して。そういう「イベント」としての海は最高だと思う。でも、こういう何もしない海も、ありだなって。散歩するだけ、ぼーっとするだけ、波の音を聞くだけ。

神戸に住んでると、海が近いのが当たり前すぎて、逆に意識しなくなるんだよね。でも須磨海岸って、夏以外もちゃんとそこにあって、ちゃんと波が寄せて返してて、ちゃんと潮の匂いがしてる。

結局あの日、3時間くらいそこにいた気がする。特に何をしたわけでもないのに、帰りの電車では妙に満たされた気持ちだった。

また行くかもしれないし、行かないかもしれない。どっちでもいいんだけど。

コメント

タイトルとURLをコピーしました