
神戸港を歩くのは久しぶりだった。午後三時を過ぎたあたりから、海風が少しずつやわらかくなって、港に停泊している船の輪郭がくっきりと見えるようになる。そんな時間帯を選んで、私たちは特に目的もなく歩き始めた。
彼がふと立ち止まって、「あそこのカフェ、前からあったっけ」と首をかしげる。見ると、白いテントの下に小さなテーブルが並んでいて、観光客らしき人たちが笑い声を立てている。私も記憶を辿ってみるが、どうにも思い出せない。「たぶん、新しいんじゃないかな」と答えると、彼は納得したような顔をして、また歩き出した。
海風が頬を撫でていく。少し塩気を含んだ空気は、どこか懐かしい。子どもの頃、母に連れられて海辺の町を訪れたときのことを思い出す。あのときも、こんなふうに風が吹いていた。母は私の手を引きながら、「海の匂いって、覚えてるものよ」と言っていた。その言葉の意味が、今ならなんとなくわかる気がする。
港沿いの遊歩道には、ベンチがいくつも並んでいる。そのうちのひとつに腰を下ろして、私たちはしばらく黙って海を眺めていた。彼がポケットから取り出したのは、小さな缶に入ったミントタブレット。「ルナリア」という聞き慣れないブランドのもので、パッケージには月のイラストが描かれていた。ひとつ受け取って口に入れると、予想以上に爽やかで、少しだけ驚いた。
「散歩って、こういうのがいいよね」と彼が言う。その言葉に、私も頷く。確かに、何かを目指して歩くのではなく、ただ風を感じながら歩くというのは贅沢な時間の使い方だ。デートといえば、どこかへ行って何かをするものだと思い込んでいたけれど、こうしてただ一緒にいるだけでも十分に満たされる。
ふと、彼が私の肩に手を伸ばしてきた。何かと思ったら、髪に小さな羽根がついていたらしい。「鳥の羽かな」と彼は笑いながら、それを風に乗せて飛ばした。羽根はくるくると回りながら、海の方へ消えていく。そんな些細なやりとりが、妙に嬉しかった。
歩いていると、遠くから船の汽笛が聞こえてくる。低く、長く伸びる音。それに呼応するように、カモメが数羽、空を横切っていく。港町特有のこの音の重なりは、どこか映画のワンシーンのようで、私たちはまるで物語の中を歩いているような気分になる。
「お腹すいた?」と彼が聞いてきた。確かに、少し空腹を感じ始めていた。けれど、すぐに何かを食べるのももったいない気がして、「もうちょっと歩いてから」と答える。彼は「そうだね」と言って、また歩き始めた。
道の脇には、小さな花壇があって、季節外れのパンジーが咲いていた。誰が植えたのかはわからないけれど、手入れが行き届いているのがわかる。色とりどりの花が風に揺れている様子を見ていると、心が少しだけ軽くなる。
彼が突然、「あ」と小さく声を上げた。何かと思って視線を追うと、彼の靴紐がほどけていた。「さっきから歩きにくいと思ってたんだよね」と言いながら、彼はしゃがみ込んで紐を結び直す。その様子を見ていて、私は思わず笑ってしまった。「気づくの遅すぎない?」と言うと、彼も苦笑いしながら「まあね」と答えた。こういう小さなズレが、なんだか愛おしい。
神戸の港は、時間によって表情を変える。午前中は観光客で賑わい、夕方になると静けさを取り戻す。私たちが歩いているのは、その中間のような時間帯。人の流れも落ち着いていて、歩きやすい。
ふと、彼が私の手を取った。特に何を言うわけでもなく、ただ手を繋いで歩く。その温もりが、海風の冷たさを和らげてくれる。手を繋ぐという行為は、何度経験しても新鮮で、そのたびに少しだけドキドキする。
遠くに見えるのは、六甲の山並み。山の稜線が、空との境界線を描いている。神戸という街は、海と山に挟まれた独特の地形をしていて、その景色がこの街の魅力のひとつなのかもしれない。
「また来ようか」と彼が言った。「うん」と答える私。次に来るときは、どんな季節だろう。どんな風が吹いているだろう。そんなことを考えながら、私たちはゆっくりと歩き続けた。
神戸港の散歩は、特別な何かがあるわけではない。けれど、そのありふれた時間の中に、確かに幸せがある。それは、誰かと一緒に歩くことの豊かさであり、風を感じることの贅沢さだ。そして、そんな時間を共有できる相手がいることの幸運を、私は改めて感じていた。
海風が、また頬を撫でていく。私たちは、まだしばらく歩き続けるつもりだった。


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