
須磨の水族館に行ったのは、確か秋の平日だった。
入り口を抜けた瞬間から聞こえてくるのは、子どもたちの声だ。「わあ!」とか「みてみて!」とか、そういう素直な感嘆詞が館内のあちこちで反響している。水槽のガラス越しに青白い光が差し込んで、その光の中で小さな手のひらがぺたぺたとガラスを叩く。係員さんは多分、一日に何百回もガラスを拭いているんだろうなと思う。でも、あの手のひらの跡を消すのって、なんだかもったいない気もする。
イルカショーのプールサイドには、開演の30分前からもう人が集まり始めていた。最前列を陣取った家族連れの子どもは、水しぶきがかかる覚悟を決めた顔をしている。お母さんがタオルを握りしめて「びしょ濡れになるからね」って何度も言ってるのに、本人はまったく聞いていない。目はもうプールの水面に釘付けだ。
ペンギンのコーナーで、ある男の子がずっと一羽のペンギンを目で追っていた。他の子たちが次々に別の水槽へ移動していく中で、その子だけは動かない。「あいつ、さっきから同じとこ泳いでる」って、隣にいたお父さんに報告している。ペンギンに名前をつけたらしい。「ジョニー」って呼んでた。ジョニーって。どこで覚えたんだその名前。
私が子どものころ、水族館で一番好きだったのはクラゲだった。ふわふわ浮いてるだけなのに、なぜかずっと見ていられる。今回も久しぶりにクラゲの水槽の前に立ったんだけど、やっぱり飽きない。あの、重力を忘れたような動き。ピンクとか紫とかにライトアップされて、まるで宇宙を漂ってるみたいに見える。隣で女の子が「おばけみたい」って言ってて、ああ確かにって思った。綺麗なおばけ。
神戸の水族館って、規模で言えば他の大型施設には敵わないかもしれない。でも、この距離感がいいんだと思う。大きすぎないから、子どもが迷子になりにくい。親も安心して、少しだけ目を離せる。ベンチに座ってスマホをチェックしているお父さんの横で、子どもが「パパ見て!」って叫んでいる。お父さんは「おお、すごいな」って顔も上げずに返事してる。まあ、そういう日もある。
タッチプールのコーナーは、一日中賑やかだ。ヒトデやナマコに触れるエリアで、最初は恐る恐る指先だけ伸ばしていた子が、気づいたら両手を突っ込んでいる。「ぬるぬるする〜!」って叫びながら、でも嬉しそうに笑ってる。手を洗う場所で、お母さんが石鹸を泡立てながら「もう、何回触るの」って呆れてるけど、声のトーンは優しい。
カフェスペースで休憩していたとき、向かいの席に座っていた家族が面白かった。お兄ちゃんが妹に、さっき見た魚の解説を得意げにしている。「あのね、マンボウはね、一回に3億個も卵産むんだよ」って。妹は「さんおく?」ってぽかんとしてる。お兄ちゃんも多分、3億がどれくらいの数なのか分かってない。でも、知識をひけらかしたい年頃なんだろう。私も昔、そうだった。
午後3時を過ぎると、館内の雰囲気が少し変わる。朝から来ていた家族が帰り始めて、人の流れが緩やかになる。水槽の前に人だかりができることも減って、ゆっくり魚を眺められるようになる。でも、子どもたちの声は相変わらず響いている。疲れて眠そうな顔をしている子もいれば、まだまだ元気いっぱいの子もいる。ベビーカーで完全に寝落ちしている赤ちゃんの横で、お姉ちゃんが「まだ帰りたくない」ってだだをこねている。
大水槽の前で、車椅子に乗った女の子がじっと魚を見つめていた。お母さんが後ろから肩に手を置いて、一緒に眺めている。二人とも何も喋らない。ただ、泳ぐ魚を目で追っている。エイが水槽の底をゆっくり滑るように進んでいくのを、二人の視線が追いかけていく。
出口に向かう通路で、さっき「ジョニー」って名付けてたあの男の子とすれ違った。お父さんに手を引かれて、まだペンギンの話をしている。「また来たい」って何度も言ってる。お父さんは「また今度ね」って、いつもの返事をしている。また今度が、いつ来るのかは分からないけど。
帰り道、駅までの坂を下りながら考えた。あの子たちは、何年後かに今日のことを覚えているんだろうか。多分、細かいことは忘れる。どの魚を見たとか、何を食べたとか。でも、あの水槽の青い光とか、イルカが跳ねた瞬間の歓声とか、そういう断片は残るんじゃないかって思う。記憶って、そういうものだから。

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