
六甲山の中腹まで来ると、街の音が嘘みたいに消える。
オルゴール館っていう響きに、正直あまり期待していなかった自分がいる。だってオルゴールでしょ? 小さな箱から「チリンチリン」って鳴るやつ。子どもの頃に親戚からもらった宝石箱についてたあれ。でも彼女が「行きたい」って言うから、まあいいかと思って車を走らせたんだけど。
建物に入った瞬間、空気が変わった。ひんやりしていて、なんていうか、時間の流れ方が違う感じ。受付を済ませて展示室に入ると、思ってたのと全然違うものが並んでる。巨大な木製のキャビネット、金属の円盤がセットされた機械、どれも「オルゴール」って聞いて想像するサイズじゃない。
係の人が説明してくれた。これはディスクオルゴールっていうらしい。19世紀のヨーロッパで作られたもので、直径が50センチ以上ある金属の円盤をセットして音を奏でる。再生ボタンを押すと、ゆっくりと円盤が回り始めて——。
音が、降ってきた。
「降る」っていう表現が一番しっくりくる。高い音、低い音、それぞれが別々の場所から響いてきて、部屋全体を満たしていく。耳で聴くっていうより、体で受け止める感じ。隣にいた彼女の表情が、ふっと緩んだのが見えた。
そういえば去年の夏、彼女と初めて会ったのも神戸だった。三宮の雑踏の中で待ち合わせして、何を話したかもう覚えてないけど、やたら暑かったことだけは覚えてる。あの日からもう一年以上経つのか。時間って不思議だよね、長いような短いような。
次の部屋に進むと、さらに大きなオルゴールがあった。「レジーナ」っていう名前のついた、アメリカ製のもの。係の人が「これは1900年頃のものです」って言いながらハンドルを回す。ゼンマイを巻く音がギシギシと響いて、それからまた、あの音。
今度は違う曲だった。クラシックの有名な曲らしいけど、タイトルは知らない。でも聴いたことはある。どこで聴いたんだっけ。思い出せないまま、音に身を任せる。
彼女が小さく息を吐いた。
「ねえ、これ聴いてると、なんか泣きそうになるね」
そう言って笑ってた。僕も同じこと思ってたから、ちょっと驚いた。オルゴールの音って、どうしてこんなに切ないんだろう。楽しい曲のはずなのに、どこか寂しい。きっと音と音の間にある「間」のせいだと思う。ひとつひとつの音がはっきり聞こえるから、その隙間も聞こえてしまう。
窓の外を見ると、木々の向こうに神戸の街が見えた。ここからだと、あの喧騒も小さな光の粒にしか見えない。午後の光が斜めに差し込んで、展示されてる古いオルゴールたちを照らしてる。埃っぽい匂いと、かすかに木の香りがした。
最後の部屋には、自動演奏のオルゴールがいくつか並んでいて、好きなタイミングでボタンを押せるようになってた。彼女が「これ聴きたい」って選んだのは、一番小さいやつ。シンプルな木の箱で、他のに比べたら地味。でもその音は、今まで聴いた中で一番澄んでた。
静かな部屋で、二人だけで、オルゴールの音を聴く。それだけのことなのに、なんでこんなに特別な時間に感じるんだろう。
帰り道、彼女は「また来たいね」って言った。僕は「うん」としか答えなかったけど。
六甲山を下りながら、さっき聴いた音がまだ耳の奥に残ってる気がした。神戸の夜景が眼下に広がり始めて、街の灯りがひとつひとつ点いていく。オルゴールの音と街の光、どっちも同じように、ひとつひとつが大事なんだろうなって思った。
そんなことを考えてたら、彼女はもう眠そうにしてたけど。


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