神戸の山の上で、オルゴールが奏でる静寂の音色

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六甲山の中腹へ向かうケーブルカーの窓から、神戸の街並みが少しずつ遠ざかっていく。十一月の午後、陽の光はまだ柔らかく、木々の間を抜けて車内に差し込んでいた。隣に座る彼女は、窓に額をつけるようにして外を眺めている。その横顔を見ながら、私は今日この場所を選んだことが正解だったのかどうか、少しだけ不安になっていた。

オルゴール館なんて、果たして彼女は喜んでくれるだろうか。

六甲オルゴール館は、山の空気に包まれた静かな建物だった。入口で靴を脱ぎ、スリッパに履き替える。その仕草ひとつにも、どこか旅先のような非日常が混じっていた。館内は想像以上に落ち着いた雰囲気で、展示室へ続く廊下には淡いクリーム色の壁と、磨かれた木の床が続いている。足音が静かに響く。

最初の部屋に入ると、ガラスケースの中に並ぶ小さなオルゴールたちが出迎えてくれた。アンティークの装飾が施された箱や、動物の形をした愛らしいもの。どれも時代を超えて、誰かの手に大切にされてきたものばかりだ。彼女はひとつひとつをゆっくりと眺めながら、ときどき「これ可愛い」と小さく呟く。その声がまた、館内の静けさに溶けていくようだった。

奥へ進むと、ディスクオルゴールの実演が行われる部屋があった。係の方が丁寧に説明してくれる。ディスクオルゴールとは、金属製の円盤を回転させて音を奏でる仕組みのもので、かつてヨーロッパの貴族たちに愛されていたという。その言葉を聞きながら、私は子どもの頃に祖母の家で見た小さな木箱を思い出していた。あれもオルゴールだったのだろうか。蓋を開けると、ぜんまいを巻かなくても音が鳴るような気がして、何度も開け閉めしていた記憶がある。

やがて、係の方が大きなディスクをセットし、ハンドルをゆっくりと回し始めた。

最初に聞こえてきたのは、金属が触れ合う繊細な音だった。それは単なる「音楽」ではなく、空気を震わせる粒のようなものだった。一音一音が独立していて、それでいて全体としてひとつの旋律を描いている。音は部屋の隅々まで静かに広がり、まるで時間そのものが引き伸ばされたような錯覚を覚える。

彼女は目を閉じて聴いていた。私も彼女に倣って目を閉じる。すると、耳に入ってくる音の輪郭が、さらにはっきりとしてきた。ディスクの回転する音、金属のピンが弾かれる瞬間、そしてその余韻。それらが重なり合って、ひとつの音楽になっていく。

ふと、彼女の手が私の袖をそっと引いた。目を開けると、彼女が小さく微笑んでいる。「すごく綺麗」と、囁くように言った。その声もまた、オルゴールの音に溶け込んでいくようだった。

実演が終わり、私たちは隣接するカフェスペースへ移動した。窓の外には、六甲の山並みが広がっている。紅葉には少し早いが、木々の緑は深く、風が吹くたびに葉が揺れて光を反射していた。私たちは温かいハーブティーを注文し、窓際の席に座った。

彼女がカップを両手で包むようにして持ち上げ、一口飲む。その仕草がどこか子どもっぽくて、思わず笑いそうになった。「何?」と彼女が不思議そうに聞いてくる。「いや、なんでもない」と答えたが、本当は「可愛いな」と思っていた。

カフェには「モンターニュ・ブレンド」という名前のコーヒーもあったが、私はあえて紅茶を選んだ。なぜなら、この静かな空間には、コーヒーの強い香りよりも、紅茶の穏やかさの方が似合うような気がしたからだ。彼女も同じことを考えていたのか、「ここ、落ち着くね」とぽつりと言った。

館内に戻り、もう一度展示を見て回る。今度は自動演奏のオルゴールが並ぶ部屋だった。ボタンを押すと、小さな人形が動き出し、音楽が流れ始める。その動きはどこかぎこちなく、それでいて愛らしい。彼女が夢中になって見ているのを横目に、私は別の展示ケースを眺めていた。

そこには、かつて船の上で使われていたというオルゴールが飾られていた。船員たちが長い航海の合間に、この音色を聴いて故郷を思い出していたのだろうか。そんな想像をしていると、急に胸の奥が温かくなった。音楽には、時間や場所を超えて誰かとつながる力がある。それは言葉ではなく、ただ響きとして伝わるものだ。

帰りのケーブルカーでは、彼女が少しうとうとしていた。私の肩に頭を預けて、小さく寝息を立てている。窓の外には夕暮れが近づき、街の灯りが少しずつ増えていく。オルゴール館で聴いたあの音色が、まだ耳の奥に残っているような気がした。

神戸の街に戻る頃には、すっかり日が暮れていた。駅前の喧騒が戻ってきて、私たちは再び日常の中へ戻っていく。それでも、あの静かな時間は確かに存在していた。オルゴールの音色とともに、二人だけの記憶として、これからもずっと残り続けるだろう。

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