
六甲山の中腹に、妙に静かな建物がある。
オルゴール館って聞いて最初に想像するのは、たぶん小さな宝石箱みたいなやつだと思う。ネジを巻いて蓋を開けたら、ちんまりした人形がくるくる回って「エリーゼのために」が流れる、みたいな。私もそうだった。だから六甲オルゴール館に行くって決めたとき、正直そこまで期待してなかったんだよね。山の上にある観光施設でしょ、くらいの気持ちで。
入館したのは平日の午後2時過ぎだったと思う。ロープウェイを降りてバスに揺られて、少しひんやりした空気の中を歩いていくと、レンガ色の建物が見えてくる。周りには誰もいなくて、木々の間を抜ける風の音だけが聞こえてた。
館内に入ると、係の人が次の演奏まであと10分ほどですって教えてくれた。演奏? オルゴールなのに演奏? って一瞬混乱したけど、とりあえず展示室をぶらぶら見て回ることにした。壁には古いオルゴールがずらっと並んでて、どれもこれも想像してたサイズ感を軽く超えてくる。タンスくらいあるやつとか、円盤が組み込まれた家具みたいなやつとか。こんなのどうやって運んだんだろうって思いながら、ガラスケースの中を覗き込んでた。
そういえば昔、祖母の家に小さなオルゴールがあって、私が勝手に触って壊したことがある。
時間になると、係の人に案内されて奥の部屋に通された。椅子が並んでて、真ん中に大きな木製のキャビネットみたいな機械が置いてある。ディスクオルゴールっていうらしい。直径50センチくらいある金属の円盤を機械にセットして、ハンドルを回すと音が鳴る仕組み。最初に聴いたのはシューベルトの「セレナーデ」だった。
音が鳴った瞬間、空気が変わった。
オルゴールの音って、もっとキラキラした軽い感じを想像してたんだけど、全然違う。低音がちゃんとあって、金属が震える音の粒が重なり合って、まるで部屋全体が楽器になったみたいに響いてくる。隣に座ってる相手の顔をちらっと見たら、目を閉じて聴いてた。私も真似して目を閉じてみる。すると音の輪郭がもっとはっきりして、一音一音が空間のどこかに置かれていくのが分かる気がした。
係の人が次の曲のディスクを交換してる音も、妙に丁寧に聞こえる。金属がカチャリと触れ合う音、ハンドルを巻く音、そしてまた音楽が始まる。今度はワルツだった。曲名は忘れちゃったけど、聴いたことのあるメロディーで、でもこんなふうに聴いたのは初めてだった。
六甲オルゴール館には、自動演奏のオルゴールもたくさん展示されてるんだけど、やっぱり生で──って言い方が正しいのか分からないけど──係の人が目の前で鳴らしてくれるのを聴くのが一番良かった。機械なのに、人の手が介在してるって分かると、音に温度が宿る感じがする。
演奏が終わって外に出たとき、山の冷たい空気が肌に触れて、少しだけ現実に引き戻された気分になった。でもまだ耳の奥に、あの金属の響きが残ってる。二人ともしばらく黙ったまま歩いてた。別に気まずいわけじゃなくて、ただ何か言葉にするのがもったいない気がして。
帰りのバスの中で、相手がぽつりと「また来たいね」って言った。私も頷いた。オルゴールってこんなふうに聴くものだったんだなって、今さら気づいた感じ。神戸に住んでて、六甲山なんて何度も行ったことあるのに、あの場所にはずっと気づかなかった。
たぶん、また行くと思う。次は違う季節に。

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