神戸の山でオルゴールに耳を傾けた午後、時間が止まったような気がした

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六甲山の中腹まで車を走らせたのは、たしか11月の平日だった。

紅葉にはまだ早くて、観光客もまばらで、駐車場に車を停めたときに聞こえてきたのは風の音だけ。オルゴール館って正直、行く前は「まあ、そういう施設だよね」くらいの気持ちだったんだけど、入口の重たい扉を開けた瞬間に空気が変わった。ひんやりしていて、どこか湿った木の匂いがして、外の世界と完全に切り離された感じ。館内は薄暗くて、展示ケースの中でアンティークのオルゴールたちが静かに並んでいる。係の人が「もうすぐ演奏が始まりますので、よろしければ奥の部屋へどうぞ」って声をかけてくれて、僕たちは促されるままに進んだ。

奥の部屋は思ったより広くて、椅子が20脚くらい並んでいた。天井が高い。

窓からは六甲の山並みが見えて、その向こうに神戸の街が霞んでいる。僕たちが座ったのは中央より少し後ろの席で、隣には年配の夫婦がひと組だけ。係の人が「これからディスクオルゴールの演奏をお楽しみいただきます」と言って、部屋の照明を少し落とした。正直、ディスクオルゴールって何なのかよく分かってなかったんだけど、目の前にある大きな木製のキャビネットみたいな機械がそれらしい。係の人が金属製の円盤を慎重にセットして、レバーを引く。最初は機械が回る音だけ。ゼンマイが巻かれていく音。それから、ぽろん、と最初の音が鳴った瞬間、部屋の空気が震えた気がした。

音が、こんなに立体的に響くなんて思ってなかった。オルゴールって、もっとちっちゃくて可愛らしい音を想像してたんだけど、ディスクオルゴールから出る音は違う。低音がしっかりしていて、高音は透明で、でもどこか儚くて、音と音の間にある「間」がやけに長く感じられる。曲は何だったか覚えてない。クラシックの有名な曲だったと思うけど、それよりも音そのものに引き込まれて、隣にいる人の呼吸とか、自分のまばたきとか、そういう些細なことまで意識してしまう。

そういえば、子どもの頃に祖母の家にあった小さなオルゴールを思い出した。

ネジを巻くと「エリーゼのために」が流れるやつで、蓋を開けると中でバレリーナが回ってた。あれ、いつの間にかなくなってたけど、どこに行ったんだろう。そんなことを考えていたら、隣の彼女が小さく息を吐いた。顔を見ると、じっと前を見つめたまま微動だにしない。彼女がこんなに静かに何かに集中してるのを見るのは珍しくて、なんだか少しドキッとした。

演奏が終わると、係の人が別のディスクに交換して、また違う曲が流れ始めた。今度は少し明るい曲調で、さっきよりテンポが速い。でも不思議なことに、速い曲でも焦る感じがしなくて、むしろ時間がゆっくり流れているような錯覚に陥る。ディスクが回転する音、金属のピンが弾かれる音、それが共鳴して木製のキャビネットの中で増幅されていく仕組みらしいんだけど、機械的なはずなのに、どこか人間の手が触れているような温かさがある。3曲目が終わったとき、係の人が「お時間のある方は、展示室もご覧になってください」と言って照明を戻した。僕たちは席を立って、さっき通り過ぎた展示室に戻った。

展示ケースの中には、19世紀のスイス製オルゴールとか、鳥が動くオートマタとか、見たこともないような精巧な機械がずらりと並んでいる。説明書きを読むと、どれも貴族や富裕層のために作られた一点物らしい。ひとつひとつに職人の名前が刻まれていて、中には「ブレモン社」とか「ポリフォン」とか、聞いたこともないブランド名が書かれている。彼女が「これ、すごいね」と指差したのは、小さな鳥が本物みたいに羽ばたくオートマタだった。ガラス越しに見ても、羽の一枚一枚まで丁寧に作られているのが分かる。

外に出たときには、もう午後3時を回っていた。

駐車場までの坂道を下りながら、彼女が「また来たいね」とぽつりと言った。僕は「うん」とだけ答えて、そのまま黙って歩いた。神戸の街が遠くに見えて、風が少し冷たくなっていて、さっきまで聞いていたオルゴールの音が、まだ耳の奥に残っている気がした。あの音は、きっとしばらく消えない。

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