神戸の山で、二人きりで聴く金属の記憶

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六甲山の中腹に、オルゴール館がある。

正直に言うと、私はオルゴールというものをなめていた。宝石箱を開けたら鳴るやつ、くらいの認識しかなくて、わざわざ山を登ってまで聴くものかと思っていたんだけど。連れが「行きたい」って言うから、まあいいかと車を走らせた。11月の午後で、山道に入ると急に空気が冷たくなって、ハンドルを握る手がかじかんだ。

館内に入ると、思ったより静かだった。いや、静かというか、音がないわけじゃない。木の床を歩く靴音、遠くで誰かがささやく声、窓の外で風が木々を揺らす音。でもそれらがすべて、何かを待っているような静けさに包まれている。受付の人に案内されて奥の部屋に入ると、そこにディスクオルゴールというものが置いてあった。直径1メートルくらいある金属の円盤に、無数の突起がついている。これが回って音を出すらしい。

「じゃあ、始めますね」

係の人がそう言って、ハンドルを回し始めた。最初はギギギという機械音だけだったんだけど、次の瞬間、空気が変わった。金属が震える音。それは音楽というより、もっと原始的な何かだった。一音一音が粒立っていて、でも全体としてはちゃんとメロディになっている。不思議なのは、音が鳴り終わった後の余韻が、まるで部屋の空気そのものが震えているみたいに残ることだった。

隣を見ると、連れが目を閉じて聴いていた。

私は昔、祖母の家でオルゴールを壊したことがある。小学生の頃、勝手に触って中のゼンマイを巻きすぎて、バキッという音とともに動かなくなった。祖母は怒らなかったけど、その時の「ああ」という小さな声が、今でも耳に残っている。あれは多分、スイスの職人が作った古いやつだったと思う。もう二度と鳴らない音になってしまった。

六甲オルゴール館には、そういう壊れかけた記憶みたいなものがたくさん保管されている気がした。展示されているオルゴールは、どれも100年以上前のものばかりで、ガラスケースの中で時間が止まっている。でも演奏の時だけ、また動き出す。係の人が別の部屋で、今度はもっと小さなオルゴールを鳴らしてくれた。「月の光」だった。ドビュッシーの。

金属の音なのに、どうしてこんなに柔らかく聴こえるんだろう。

窓の外では、神戸の街が霞んで見えた。港のあたりまで視界が開けていて、昼下がりの光が海面をキラキラさせている。山の上だから風が強くて、窓ガラスが時々ビリビリと震える。オルゴールの音と、風の音と、遠くの街の気配が、全部混ざり合っている。

「これ、欲しいな」

連れがぽつりと言った。でも展示品だから売ってないし、仮に売っていたとしても、多分私たちには買えない。そういう現実的なことを言おうとしたんだけど、やめた。この瞬間は、欲しいと思うだけでいい気がした。

帰り道、車の中で連れが「また来たいね」と言った。私は「うん」とだけ答えた。山を下りながら、さっき聴いた音が頭の中でリフレインしている。金属の粒が、ひとつひとつ、時間をかけて落ちていく音。あれは録音できない種類の音楽だと思う。その場にいて、その空気を吸って、その温度を感じていないと、たぶん本当の意味では聴こえない。

神戸の街に戻ると、急に騒がしくなった。車のクラクション、人の声、店から流れてくる音楽。でも耳の奥には、まだあの静けさが残っていた。オルゴールの余韻みたいに、消えそうで消えない何かが。

次に行くのは、いつになるだろう。来年の秋かもしれないし、もっと先かもしれない。あるいは、もう行かないかもしれない…けど。

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