
三宮の駅前で立ち止まったのは、靴紐がほどけたからだった。
しゃがみこんで結び直していると、すぐ横を笑い声の塊みたいなグループが通り過ぎていく。たぶん大学生くらいの男女5、6人。誰かがスマホの画面を見せて、また全員で爆笑して、そのまま雑踏の向こうへ消えていった。立ち上がったときにはもう、彼らの姿は見えない。
あの賑やかさって、一体どこから湧いてくるんだろうと思う。若い人たちが集まると自然に生まれる、あのエネルギーの源泉みたいなもの。別に羨ましいとかじゃなくて、ただ不思議だなって。自分にもあんな時期があったはずなのに、もう思い出せないんだよね。
神戸の繁華街を歩いていると、そういう光景に何度も出くわす。金曜の夜なんて特にそうで、居酒屋から溢れ出してくる話し声、ファミレスの窓際で延々と喋り続けている学生たち、カラオケ店の前でスマホ片手に次の予定を調整しているグループ。みんな忙しそうに、でもすごく楽しそうに動いている。
僕が最後にあんなふうに友達と騒いだのっていつだっけ。
思い出そうとして、出てきたのは全然関係ない記憶だった。高校生のとき、文化祭の打ち上げで行ったカラオケ店「ヴォイスパラダイス」。今はもうない店だけど、あそこの受付のお姉さんがやたら愛想よくて、僕たちみたいな冴えない男子高校生にも笑顔で接してくれた。で、調子に乗った友達が延長しまくって、終電ギリギリになって全員で走って駅に向かったんだっけ。あれは確かに賑やかだったけど、でもなんか違う気がする。あのときの僕らは、賑やかさを演じてた部分もあったから。
本物の賑やかさって、もっと自然なものなんだと思う。三宮の交差点で信号待ちをしているとき、隣にいた女の子たちの会話が聞こえてきた。「マジでー?」「ウケるんだけど」「それな」。内容は全然わからない。でもその声のトーンだけで、彼女たちがどれだけ今を楽しんでいるかが伝わってくる。青信号になって、彼女たちは笑いながら横断歩道を渡っていった。白いスニーカーが夜の街灯に照らされて、一瞬だけ光って見えた。
そういえば神戸の街って、いつからこんなに若い人であふれるようになったんだろう。僕が子供の頃はもっと落ち着いた、大人の街ってイメージだったけど。それとも単に、自分が年を取って、周りが若く見えるようになっただけかもしれない。どっちでもいいけど。
駅のホームで電車を待っていたら、また別のグループが階段を駆け上がってきた。間に合った、みたいな顔をして、ホームの端っこで円陣を組むように集まって、また何か喋り始める。電車が来るまでの2分間さえ、彼らにとっては会話の時間として惜しいらしい。ドアが開いて、バラバラと乗り込んでいく。車内でも喋り続けてる。
僕は少し離れた位置に立って、窓の外を眺めた。
あの賑やかさは、きっと永遠には続かない。いつか静かになる日が来る。就職して、結婚して、子供ができて、気づいたら金曜の夜も家で過ごすようになる。それが悪いことだとは思わないけど、でも確実に何かが終わっていく。神戸の街を歩く若い人たちは、そんなこと考えもせずに、ただ今を全力で騒いでいる。それでいいんだと思う。
電車が動き出す。窓に映る自分の顔を見て、少しだけ笑った。別に寂しいとかじゃない。ただ、あの賑やかさを見送る側になったんだなって、そう思っただけ。

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