神戸の夜、三宮で見送る賑やかな波

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十一月の終わり、夕暮れから夜へと移り変わる時間帯の三宮は、いつもとは違う空気に包まれていた。駅前のロータリーには人の流れが絶えず、ビルの窓から漏れる明かりが歩道を照らしている。私はカフェ「コルトレーン」の窓際に座り、温かいミルクティーを手に持ちながら、ガラス越しにその光景を眺めていた。

若い人たちのグループが、ひとつ、またひとつと通り過ぎていく。彼らの笑い声は重なり合い、まるで波が寄せては返すように、街の喧騒の一部となって消えていく。男女五人ほどの集団が、何かのイベント帰りだろうか、色とりどりのパーカーを着込んで、スマートフォンを片手に自撮りをしながら歩いている。その後ろから、今度は三人組が駆け抜けていった。どこかに遅刻しているのか、それとも単に走りたい気分なのか。理由なんてどうでもいいのだろう。彼らの足音は軽く、地面を蹴る音さえもどこか楽しげに響いていた。

カフェの中には、私のほかに数人の客がいる。カウンター席では年配の男性が新聞を広げ、奥のソファ席ではカップルが静かに向かい合っている。店内には微かにジャズが流れていて、外の賑やかさとは対照的な静けさがあった。私の隣のテーブルには、読みかけの文庫本が置かれていたが、誰も戻ってこない。忘れ物なのか、それとも席を立っただけなのか。そんなことを考えていると、店員が近づいてきて、「お代わりいかがですか」と声をかけてくれた。私は首を横に振り、微笑んで断った。

窓の外では、また新しいグループが現れる。今度は女性ばかりの四人組だった。全員がショートコートを着ていて、手にはショッピングバッグを提げている。彼女たちは立ち止まり、何かを話し合っている様子だった。地図を見ているのか、それとも次にどこへ行くかを決めているのか。その中の一人が、スマートフォンを高く掲げて画面を見せると、他の三人が一斉に身を寄せた。そして何かに納得したように頷き合い、また歩き出した。その瞬間、一人がつまずきかけて、隣の友人の肩に手をついてバランスを取り直していた。彼女たちはそれを笑いに変えて、何事もなかったかのように進んでいった。

子どもの頃、私も友人たちと夜の街を歩いたことがある。あれは中学生のときだったか、文化祭の打ち上げで駅前のファミレスに集まった帰り道だった。誰かが「もう少し歩こう」と言い出して、特に目的もなく繁華街をぶらついた。今思えば、あの頃の私たちも、きっと誰かの窓から見られていたのだろう。賑やかで、少しうるさくて、でもどこか輝いていたのかもしれない。

ミルクティーはもうぬるくなっていた。カップを持ち上げると、陶器の冷たさが手のひらに伝わってくる。最後の一口を飲み干すと、窓の外にまた新しい動きが見えた。今度は男性ばかりの六人組だ。全員がダウンジャケットを着込み、リュックを背負っている。その中の一人が何かを叫ぶと、他のメンバーが一斉に笑い出した。彼らの声は窓ガラスを通してもはっきりと聞こえてくる。

神戸という街は、こうして絶えず人を迎え入れ、そして送り出している。三宮の交差点は、まるで舞台のようだ。次々と役者が入れ替わり、それぞれの物語を持ち込んでは去っていく。私はその観客であり、同時に通行人でもある。明日になれば、私もまたあの通りを歩くだろう。誰かの窓から見られながら。

カフェを出ると、外の空気は思ったよりも冷たかった。吐く息が白く染まり、街灯の光に照らされて消えていく。駅へと向かう道すがら、また若いグループとすれ違った。彼らは私を気にも留めず、ただ前を向いて歩いていく。その後ろ姿を見送りながら、私はポケットに手を突っ込み、少しだけ歩く速度を上げた。賑やかさは、いつも誰かの背中にくっついて移動していくものなのかもしれない。

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